大阪桐蔭の前田悠伍さんの父親ですが、伊香高校の野球部出身で、現役時代は投手と遊撃手を務めています。
ただ、父親が伊香高校在籍時には、甲子園に出場する事が出来ていません。
ちなみに、前田悠伍さんの現在の投球フォームの原点は父親とお兄さんと行ったキャッチボールとなります。
当記事では
- 父親に関する情報
- 父親とのエピソード
について書きました。
ドラフト1位候補の青学・常廣羽也斗さんの父親についてはこちらの記事で書きました。

かなり優秀な建築士さんですよ!
前田悠伍(大阪桐蔭)の父親は伊香高校で投手・遊撃手として活躍!
引用:日刊ゲンダイ
大阪桐蔭の前田悠伍さんの父親は
- 孝博さん
- 2023年7月31日時点で、49歳
- 滋賀県立伊香高校の野球部出身
- 投手と遊撃手として活動
となっています。
父・孝博さん(49)
引用:スポーツ報知
投手と遊撃手は野球の花形ポジションですよね。
その2つを守ってた父親はかなり野球センスと運動神経が高い人であると思われます。
高校ナンバーワン投手の前田悠伍さんの野球センスは父親から受け継がれたものですよね。
前田悠伍の投球フォームの原点は父親とのキャッチボール
現在の前田悠伍さんの投球フォームの原点は、小さい時からずっと行ってた父親・お兄さんとのキャッチボールになります。
さらに、高校3年夏の大会後に実家に帰り、久々に父親・兄とのキャッチボールをされました。
ちなみに、2023年7月31日のスポーツ報知にて、年に数回の家族面会の時に、父親に対して

と話してたそうです。
父親は地方大会ベスト8にも入れず
父親が在籍してた伊香高校の野球部ですが、甲子園出場歴は
- 夏の甲子園は、1968年度・1973年度・1987年度
- 選抜大会は、1977年度・1987年度
となっています。
ただ、父親の年齢から高校卒業年は1993年前後となり、父親が伊香高校野球部在籍時には春も夏も甲子園に出場していない事になります。
「高校野球データベース」にて、父親が野球部に在籍してた可能性が考えられる1990年~1994年の夏の滋賀大会のベスト8チームは
- 1990年 八幡商・彦根東・比叡山・甲西・玉川・栗東・虎姫・長浜
- 1991年 八幡商・石山・近江・比叡山・彦根東・栗東・堅田・守山
- 1992年 近江・比叡山・八幡商・栗東・八幡工・瀬田工・長浜・石山
- 1993年 近江兄弟社・大津商・守山北・栗東・長浜・安曇川・東大津・高島
- 1994年 近江・長浜・栗東・比叡山・米原・草津東・安曇川・八幡商
となり、父親が在籍してた頃には、夏の滋賀大会ではベスト8に入る事が出来ていない事になります。
伊香高校野球部は2人の野球選手が在籍
伊香高校野球部のチーム方針は
人間は最も楽な条件のもとで栄える(成長する)のではなく、逆に最も人間が挑戦しなけらばならない事態のもとでこそ栄える(成長する)。挑戦が大きければ大きいほど、それに応じる人間は偉大となる。
才能=質×努力×人間性
引用:滋賀県立伊香高等学校野球部
となっています。
伊香高校出身のプロ野球選手は
- 高橋俊春さん(1982~1983年 広島カープ、1984年 西武ライオンズ)
- 西村高司さん(1973~1975年 巨人)
西村さんは高校卒業後にプロ入りし、高橋さんは大学・社会人を経てプロ入りをされています。
そして、年度から西村さんも高橋さんも父親が伊香高校に在籍する前の人達ですね。
前田悠伍(大阪桐蔭)の母親の由香は陸上選手!
引用:日刊スポーツ
そして、前田悠伍さんの母親は
- 由香さん
- 高校時代は陸上選手
となっています。
前田悠伍が父・母親に向けての手紙が感動的
そんな前田悠伍さんは、節目毎に父・母親に手紙を書いています。
中学卒業前には、便箋2枚に父・母親への感謝の手紙を書きました。
父親には
帰省したときは、俺の球捕れへんくなってるで。楽しみにしといてな!
引用:スポニチ
母親には
家を出るけど悲しんだらあかんで。一つお願い!入寮するときは、泣かずに笑顔で見送ってな
引用:スポニチ
さらに、父親の財布には前田悠伍さんが小学校時代に書いた手紙が入っています。
ちなみに、中学時代の前田悠伍さんの球速は138キロで高校では148キロまでスピードを上げました。
久々にキャッチボールした際に、父親がびっくりするぐらい進化した前田悠伍さんを感じたのではないでしょうか。
以上が、前田悠伍さんの父親に関する記事ですね。
前田悠伍さんと父・母親とのエピソードは、前田悠伍さんの優しさを非常に感じました。
父・母親の育て方が素晴らしいからこそ、こんな風な優しい人に育ったのでしょうね。
前田悠伍さんの彼女に関する情報についてはこちらの記事に書きました。


広陵高校の真鍋慧さんの進学先の大学についてはこちらでまとめました。


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