西舘勇陽さんのwiki風プロフィールや経歴について書きました。
西舘勇陽さんは、一戸南小学校3年時から野球を始め、一戸中学校では好成績を収めます。
高校は、菊池雄星さんや大谷翔平さんの憧れもあり、花巻東高校に進学します。
高校時代は、入学時は127キロでしたが、最終的には149キロを投げる投手に成長します。
高校時代は、2年春・3年春と夏の3回出場しますが、自責点9で防御率10.13と好成績を残す事は出来ませんでした。
高校時点で、プロ注目投手でしたが、高校の結果に満足がいってなかったので、早い段階で大学進学を決めていました。
中央大学進学後は、1年秋からリーグ戦に出場し、2年秋からクイックモーションで投げる様になり、コントロールが安定し、変化球のキレが増しました。
そして、3年春に自己最速の155キロを記録し、3年秋にベストナインを獲得しました。
当記事では、そんな西舘勇陽さんの経歴やプロフィールについて書きました。
西舘勇陽さんの2人の兄ついてはこちらで書いたので、ぜひご覧ください。

西舘勇陽のwiki風プロフィールは?身長は185㎝!
引用:日刊スポーツ
西舘勇陽さんのwiki風プロフィールですが
- 読み方:西舘勇陽(にしだてゆうひ)
- 生年月日:2002年3月11日生まれ
- 出身地:岩手県一戸町
- 身長:185㎝
- 体重:79㎏
- 好きな言葉:初志貫徹
- 特技:クロスカントリー
- 憧れの投手:菊池雄星、大谷翔平
- 尊敬する人:花巻東高校・野球部監督の佐々木洋
- 性格:マイペース
- 右投げ右打ち
- 変化球:スライダー、カーブ、スプリット、チェンジアップ
- 所属:中央大学 法学部法律学科
勇陽と言う名前は
と言う両親の願いが込められています。
菊池雄星さんや大谷翔平さんは、西舘勇陽さんが野球を続ける事が出来た原点だそうです。
西舘勇陽のwiki風経歴は?
引用:JBpress
では、続いては、西舘勇陽さんの野球を始めてから現在までの経歴を見て行きましょう。
小・中学時代
兄2人の後を追い、一戸南小学校3年生から一戸スポーツ少年団で野球を始め、一戸中学校では軟式野球部に所属しています。
中学時代は、全国大会に出場・岩手県選抜に選出されています。
花巻東高校時代
花巻東高校へは、菊池雄星さんと大谷翔平さんへの憧れと岩手の選手が集まり甲子園での優勝を目指すスタイルに憧れ、進学を決めました。
1年春の時点で最速127キロでしたが、1年秋に140キロを記録し、半年で13キロ速くなりました。
この急激な球速の伸びの理由について、本人は分からないそうです。
周りの人と同じ練習をしていただけなので、自分ではなぜこんなに上がったか分からなかったです
引用:4years.
1年時
1年夏からベンチ入り、1年秋で公式戦デビューをし、県大会で4試合を9.1回を投げ2失点、東北大会で3試合を20.1回を投げ5失点の好成績を残します。
東北大会の準々決勝の由利工戦で、2安打2失点(自責点0)の初完投を挙げました。
2年
2年春の選抜大会の準々決勝の大阪桐蔭戦で2番として甲子園デビューし、2回7失点し、チームも負けました。
大会後、腰痛により、2年夏の予選直前まで練習が出来ない状態でした。
2年秋の東北大会にコントロールを乱し、8.1回で12点の不調でした。
その後、オフに行ったフォーム修正により、球速が上がります。
3年
3年春の県大会準々決勝で147キロ、3年夏の県大会で149キロを記録します。
3年夏の甲子園に出場し、初戦・鳴門戦で5.2回を6失点の不調で、チームも4対10の大差で敗れました。
甲子園の通算成績は、3試合に登板し、8回 4奪三振 自責点9 防御率10.13でした。
高校時代のエピソード
3年夏の岩手県大会決勝では、佐々木朗希さんは登板されず、西舘勇陽さんが甲子園出場を決めました。
佐々木朗希さんについて、西舘勇陽さんは
すごいとしか言いようがない
引用:スポーツ報知
とコメントされています。
西舘勇陽さんにとって、現時点の佐々木朗希さんは「テレビの中の人で遠い存在」だそうです。
花巻東の佐々木洋監督は、無理な起用はしない監督で、西舘勇陽さんは甲子園では2年続けて中継ぎでの登板となるなど先発完投型の絶対的なエースにはなれませんでした。
この事に関しては、西舘勇陽さんはかなり悔しかったそうです。
ちなみに、西舘勇陽さんは高校時代に、佐々木麟太郎さんが練習見学に来てて、何度か会っています。
その時に、中学生とは思えない体の大きさに驚いたそうです。
大学時代
高校の時点で、プロ注目投手でしたが、「3年間で満足の行く結果を残せなかったので、早い時点での大学進学を決めていました。
「今の自分に自信を持てなかったので、岩手と違う環境で気分を切り替えたい」と思い、中央大学に進学します。
1年
中央大学では、1年春のオープン戦で150キロ記録し、1年秋からリーグ戦に出場し、中継ぎ投手として活躍をし、2年秋に151キロを記録しました。
中央大学の清水監督は、西舘勇陽さんをじっくりと育てるつもりだったので、1年時は中継ぎで、全て1~2回の登板となっていました。
入学してきた時から本人の『プロに行きたい』という希望も聞いていたし、こちらも行ける素材だと思っていたので、故障して遠回りさせるようなことは絶対にさせたくない。いずれはチームの中心になって先発でやってもらわなきゃいけないけども、あまり早いうちから長いイニングを使うのはやめよう、と。だから、2年生くらいまでは、少しずつ少しずつ、肘の状態も見ながら試合を経験させていったんです
引用:JBpress
2年
2年秋のシーズンが終わった頃からクイックモーションで投げる様になり、コントロールが安定しだし、変化球のキレが増しました。
それまで足を上げて投げていましたが、クイックの方がしっくり来たので、チームのトレーナーに相談すると、クイックでの投球を進められました。
当初はクイックで良くなれば、その後、足を上げたフォームに戻すつもりでしたが、ボールの指の掛かり具合も良かったので、このままで行く事に決めました。
2年秋までは左足を上げて投げていたのですが、それが自分の感覚の中でうまく いっていなかったんです。クイックでシンプルに捕手の方向へ押すだけにして、その中で出力を上げられるように取り組みました。これによってコントロールも安定したと思います
引用:4years.
3年
3年春の最下位を決める順位決定戦のプレーオフで155キロを記録します。
3年秋から先発として活躍しています。
3年秋には、5勝を挙げ、ベストナインを獲得しています。
4年
4年春の時、クイック時に、左肩が早く開き、リリースポイントが早くなり、ストレートがシュート回転し、スピードが出てても、打者にとらえる事が増えました。
4年秋までに、そこ修正し、蹴り上げた右足にロスがなくなり、左肩が入る様になり、リリースをより打者に近い位置で離す事ができました。
大学での通算成績は、51試合に登板し、12勝10敗 226回 236奪三振 自責点49 防御率1.95となります。
以上が、西舘勇陽さんに関する記事ですね。
細野晴希さんのプロフィールや経歴についてはこちらでまとめました。

椎葉剛さんのプロフィールや経歴についてはこちらで書きました。

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