岡田彰布の嫁の顔写真(画像)が可愛い!陽子夫人の若い頃のパーマ姿も

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岡田彰布監督のお嫁さんですが、若い頃から非常に綺麗な女性です。

さらに、綺麗だけでなく、英語・フランス語・スペイン語が堪能で、上智大学を卒業されてる方です。

岡田彰布監督とは、1982年1月8日の岡田彰布監督の後援会で初めて顔を合わせし、1982年3月1日に結婚をされています。

そんなお嫁さんの陽子夫人は、お釈迦様の様な人で、岡田彰布監督のサポートに徹する素晴らしいお嫁さんで、今の岡田彰布監督があるのはお嫁さんの陽子夫人のお陰と言っても過言ではないレベルです。

当記事では

  • 陽子夫人のプロフィールや経歴・学歴
  • 陽子夫人と岡田彰布監督との馴れ初め
  • 陽子夫人の良妻エピソードまとめ

について書きました。

平田勝男さんの家族に関する情報やエピソードはこちらでまとめました。

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目次

岡田彰布の嫁の顔写真(画像)が若い頃から可愛い!陽子夫人のパーマ姿も

岡田彰布監督のお嫁さんの陽子夫人の顔画像ですが

若い頃

引用:ポストセブン

引用:X

2005年

引用:ポストセブン

以上が、岡田彰布監督のお嫁さんの陽子夫人の顔写真ですね。

若い頃から非常に綺麗な人である事がわかりますね。

後、芦屋生まれで帰国子女の為か、非常に上品な雰囲気の女性である事が分かりました。

岡田彰布監督の息子さんの経歴や学歴はこちらで書きました。

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野球はされていませんが、かなり頭がいい方ですね。

岡田彰布監督の嫁(妻)・陽子夫人の経歴や学歴は?

岡田彰布監督のお嫁さんの陽子夫人は

1959年2月8日生まれで、実家は兵庫県芦屋市です。

丸紅勤務の父親が転勤した影響で、青山学院中等科1年時からカナダ・モントリオールに移り住み、中学・高校・短大に進学します。

カナダ時代については、以下の様にコメントしています。

言葉も風習も全くわからない状態でモントリオールへ渡航し、何とか生き抜いた、と言ったら大袈裟な表現になりますが、困ったことが起きても自分で対応しなくてはなりませんでした。多少のハンディを背負っても動揺しない”ずうずうしさ”を知らないうちに身に着けたのかもしれません。その当時、海外生活に対応できない日本人の方も結構いらっしゃるという話もありましたから、わたしは恵まれていたと思います

引用:デイリー新潮

帰国した1978年に上智大学 比較文化学部に入ります。

大学授業はすべて英語で行われ、楽しい大学生活を送りました。

1981年の大学卒業後に日本ビクターに就職します。

日本ビクターでは企画室勤務で、フランス語・英語・スペイン語が得意なので、外国文献の翻訳をされています。

当時、パイオニアのレーザーディスク開発が注目を集めてたので、それに対抗する製品を作ってた時で、お嫁さんは製品に関する情報収集をされていました。

英語の新聞や雑誌を読んで、そこに書かれてる情報を収集する仕事でした。

当時のお嫁さんは、英語の斜め読みは得意でしたが、日本語訳が苦手だったので、辞書を引きながら日本語に訳していました。

岡田彰布監督と結婚したので1年程で会社は辞めました。

結婚後、岡田彰布監督の実家に4階を新たに作り、岡田彰布監督の両親と6年程一緒に住んでいます。

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岡田彰布監督と嫁(妻)・陽子夫人との馴れ初めは?

岡田彰布監督とお嫁さんの陽子夫人ですが

1982年3月1日に婚約をされました。

当時、岡田彰布監督が24歳で陽子夫人が23歳でした。

岡田彰布監督は早稲田大学卒業後にプロ入りをしていますが、当時は「4年間独身でいる」と宣言してたので、この結婚に関しては大学時代のチームメイトも「本当に結婚したんですか?」と驚く程でした。

そんな岡田彰布監督とお嫁さんの陽子夫人との馴れ初めは

お嫁さんとは1981年秋に知り合います。

陽子夫人の両親と岡田彰布監督の知人が知り合いだったので、「会ってみない」と言われ、元々岡田彰布監督については父親から凄い選手と言う話を聞いてたので、お嫁さんは面白そうだと思い会う事を決めます。

そして、1982年1月8日の岡田彰布監督の後援会で初めて顔を合わせし、新年会の後にミナミのスナックへ一緒に行き、カップル様のソファーに座った途端に岡田彰布監督は寝てしまいました。

その後、2人は結婚するまで4~5回程しか会っていないそうです。

お嫁さん曰く、岡田彰布は会う度、寝てたそうです。

プロポーズは、岡田彰布監督がキャンプ地の安芸から「一緒に暮らしてくれる?」と言い、お嫁さんが「ハイ」と言ったそうです。

そんな岡田彰布監督とお嫁さんの陽子夫人の知り合った時の印象ですが

岡田彰布監督はお嫁さんにする人はしっかりした人がいいと思ってて、陽子夫人の初対面の時に「自分よりしっかりした人で、この方なら遠征中に家を任せる事が出来る」と思ったそうです。

陽子夫人は両親が関西出身の阪神ファンなので、野球のルールが少し分かり、阪神の事をなんとなく知ってるレベルで、岡田彰布監督の印象は「頼れそうな人」だそうです。

さらに、当時は外国暮らしが長いお嫁さんには、岡田彰布監督は「寡黙で芯が通ってる」外国の人とは違うザ・日本人の様な人で新鮮でした。

当時についてお嫁さんは「海外が長く、日本的な人を求めてたのかも」とコメントされています。

婚約会見時のエピソードは?

2人で婚約記者会見を1982年3月1日の午後11時から行いましたが、急な婚約発表だったので、その時間に会場にいたマスコミは数社のみで、会見が終わり控室に戻るも、その後2人の結婚のニュースを知りマスコミがどんどん来たので、再び結婚記者会見を行ったそうです。

その時の姿は、岡田彰布監督がグレーのダブルスーツで、お嫁さんが明るいグレーのツーピースと言う姿でした。

そして、会見時には、陽子夫人の指には1カラットの婚約指輪がはめてありました。

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岡田彰布の嫁・陽子夫人の良妻エピソードまとめ

岡田彰布監督のお嫁さんの陽子夫人は、何事にも動じないお釈迦様の様な女性で、プライベートでは岡田彰布監督をしっかりサポートされて来ました。

岡田彰布監督が名将になれたのはお嫁さんのお陰である部分もあるそうです。

バースの嫁と仲良し

1983年、当時阪神の助っ人のバースさんのお嫁さんが日本に馴染めなく、毎日泣きながら「アメリカに帰りたい」と言ってて、それが原因でバースさんも不振になってて、バースさんは帰国する事を決めたそうです。

その時に、岡田彰布監督が英語が堪能なお嫁さんに「バースのお嫁さんの相手になって欲しい」と言われ、その後はバースのお嫁さんの買い物に行ったり、相談に乗ったりするなどをした事で、バースさんのお嫁さんは日本に馴染めるようになり、安心したバースさんは調子を上げたそうです。

当時のお嫁さんの陽子夫人は、気前のいい人で、阪神の若手や裏方によく奢ってくれたそうです。

なので、遠征前はお嫁さんの財布には30万円程入っていました。

オリックス移籍時のエピソード

1993年10月5日に岡田彰布監督は阪神をクビになり、その夜に岡田夫妻は懇意にしてる阪神番記者と食事をしました。

その時に、番記者が岡田彰布監督が引退を勧めると、お嫁さんは涙を流しながら反論をしました。

主人の”現役”というのは、もう二度とこないんですよ……

一球団で終わるべきだとか、日本の考え方は古いのでは。それにうちの人は幹部候補なんて、だれにも約束されたことないんですよ!

引用:女性自身

そして、岡田彰布監督はオリックスに移籍します。

阪神第1次監督時のエピソード

2004年に岡田彰布監督が阪神の監督を務めた時には、前年の星野さんと比べて批判的な意見を言うファンやマスコミが結構いたそうです。

この事にお嫁さんはかなり怒ってたそうです。

嫁はんに言わせれば、何があっても動じず、どっしり構えて表情を変えない強さが日本人の美徳でしょって……

引用:女性自身

岡田彰布監督のストレス発散に努める

2008年に巨人に最大13ゲーム差あったのを逆転され優勝した時には夫婦ともに食欲も元気もがなくなって行きました。

そんな経験もあり、現在は試合のない休日には岡田彰布監督の好きなものを食卓に並べます

さらに、家では岡田彰布監督が言いたい事を好きにしゃべって貰いストレス発散にも努てるそうです。

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岡田彰布監督のマネジメント業務も行う

岡田彰布監督が評論家を務めてた時は、お嫁さんがマネジメントを行ってて、お嫁さんに伝えると、正確で間違いなく岡田彰布監督に伝わっていました。

A.R.Eの発案者

2023年の阪神のスローガンの「A.R.E」は、お嫁さんが広告代理店に勤務する妹に相談を持ち掛け完成したものです。

特に、「R(リスペクト)」には、技術だけでなく、伝統を継承する意味が込められています。

スローガンには、「個人・チームとして明確な目標(Aim!)に向かって、野球というスポーツや諸先輩方に対して敬いの気持ち(Respect)を持って取り組み、個々がさらにパワーアップ(Empower!)することで最高の結果を残していく」という思いが込められているという。

引用:サンテレビ NEWS

さらに、お嫁さんは岡田彰布監督に「選手に厳しい事を言い過ぎたらダメ」と言うアドバイスを聞き、マスコミでの選手批判を減らす事が出来、選手達との良い関係を築く事ができています。

優勝の試合は息子の嫁・孫と観戦

阪神が優勝を決めた試合は甲子園球場で、陽子夫人と息子のお嫁さん・孫2人で観戦していました。

優勝の瞬間に地鳴りの様な声援が起き、お嫁さんは鳥肌がたったそうです。

広島遠征を経て、優勝の3日後に岡田彰布監督が帰って来て、孫2人と一緒に祝福しました。

お嫁さんの「おめでとう。よかったね」には、落ち着いて、うん、うんと言う感じでしたが、孫の「おめでとう」には満面の笑みだったそうです。

野球の知識向上に努める

お嫁さんは、岡田彰布監督の現役時代から毎試合をテレビで見て、毎朝全スポーツ誌を見て、岡田彰布監督と家で野球の話をする時の為に野球の知識を深めています。

お嫁さんが野球の試合を全て見る様になったのは、岡田彰布監督が家に帰って来た時に漏らす一言に反応する為だそうです。

言葉少ない人ですから、一を聞いて十を知るように『あの場面かな』と反応できることが私の仕事と思ってきました。返事もできないと『おまえに行っても仕方ない』となりますからね。ビジターの時は、今日は帰ってこないからと少し気を抜いたりしてました(笑)

引用:ポストセブン

「アレ」「ソレ」で理解できる

息子さん曰く、岡田彰布監督は家でも「アレ」と言うそうですが、息子さんは何を指してるのか分からないそうです。

ただ、陽子夫人は岡田彰布監督が言う「アレ」「ソレ」が何を指してるのか理解できてるそうです。

岡田彰布監督はかなり感謝してる

岡田彰布監督はかなり親しい人と食事した時に、お嫁さんの陽子夫人への感謝を話す事があります。

自分は野球ばっかりして、家のこと何もしてないけど、嫁がしっかり息子を面倒見てくれたからな。嫁さんのおかげや。遅くまで酒を飲んで家に帰っても、愚痴ひとつ言わへん。嫁がいるから野球に集中できるんや。いつも感謝してる

引用:女性自身

以上が、岡田彰布監督のお嫁さんの陽子夫人に関する記事ですね。

かなり素晴らしいお嫁さんである事が分かりました。

きっと岡田彰布監督が素晴らしい人柄であるからこそ、ここまで素晴らしい陽子夫人と夫婦になる事ができたんでしょうね。

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