椎葉剛さんですが、島原中央高校時代は主に捕手として試合に出場されています。
高校時代は、1年時の県大会3回戦進出が最高で、全国的には無名の選手でした。
高校卒業後は、投手としてミキハウスに入るも、公式戦の登板は1試合のみで終わり、3年でクビになってしまいます。
その後、徳島インディゴソックスに入り、監督で元プロの岡本哲司さんの練習法やウエイトトレーニング・食事により、入団時最速147キロだったストレートが最終的には159キロまで上がりました。
当記事では、そんな椎葉剛さんについて書きました。
椎葉剛のwiki風プロフィールは?年齢は21で身長は183!
引用:パワプロ劇空間
椎葉剛さんのwiki風プロフィールですが
- 読み方:椎葉剛(しいばつよし)
- 年齢:2002年3月18日生まれの21歳
- 出身地:大阪府堺市
- 身長:183㎝
- 体重:92㎏
- 目標の選手:藤川球児
- 好きな有名人:ローラ
- 右投げ右打ち
- 50m走:6秒8
- 遠投:115m
- 変化球:カーブ、スライダー、フォーク
椎葉剛さんは少年時代は阪神ファンでした。
目標は、藤川球児さんのように分かってても打てないストレートだそうです。
椎葉剛の小・中学時代の成績は?
引用:日刊スポーツ
椎葉剛さんは、堺市立三原台小学校時代には、1年時に軟式野球チームの高倉台ポニーズで野球を始めます。
堺市立三原台中学時代は、富田林ボーイズに所属し、背番号は1で投手でした。
中学時代はケガが多かったそうです。
2015年ボーイズ関西秋季大会で2回戦まで進出します。
他の高校への進学が決まっていましたが、長崎県の島原中央高校への進学を決めます。
椎葉剛の島原中央高校時代の成績は?甲子園出場歴なし
引用:スポーツ報知
島原中央高校時代には、甲子園には出場できませんでした。
島原中央高校時代は、1年春から公式戦に出場するも、チーム事情で8割が捕手をメインでした。
時々、投手をしていましたが、高校2年時に肩を故障し、高校3年春に復活するも、ほぼ投げていません。
高校時代について、椎葉剛さんは
チームの関係上、キャッチャーをしていたんです。でも自分の中では、どうしてもピッチャーをしたいという思いがあって
引用:フルカウント
島原中央高校の時代の成績ですが
1年時の夏の長崎大会、2年時の春の長崎大会で3回戦まで進出し、2年時の秋の長崎大会で2回戦まで進出を決めます。
1年時は、8番か5番で出場し、中継ぎで2試合を2.2回登板しています。
3年時の春・夏の大会は、1回戦で敗退します。
3年夏は、5番捕手で出場し、中継ぎで0.1回登板しています。
さらに、高校3年の夏の大会時の島原中央高校のメンバーですが、椎葉剛さんは一塁として登録されています。
部長 土橋啓次郎
監督 李 崇史
投手 若松 聖覇 3 平 田
捕手 神農 怜津 2 高 美
一塁 椎葉 剛 3 三原台引用:長崎新聞
ちなみに、島原中央高校は、1986年の夏の長崎大会で優勝し、甲子園に出場しています。
それ以外の戦績は
昭和59年 第75回九州地区高等学校野球大会長崎県大会 準優勝
昭和61年 第68回全国高等学校野球選手権大会長崎大会 優勝(甲子園初出場)
昭和62年 第80回九州地区高等学校野球大会長崎県大会 準優勝
昭和62年 第69回全国高等学校野球選手権大会長崎大会 第三位
平成 元年 第85回九州地区高等学校野球大会長崎県大会 準優勝(九州大会出場)
平成13年 第83回全国高等学校野球選手権大会長崎大会 第三位
平成14年 第84回全国高等学校野球選手権大会長崎大会 第三位
平成16年 第115回九州地区高等学校野球大会長崎県大会 準優勝(九州大会出場)引用:島原中央高等学校
椎葉剛の社会人時代の成績は?
引用:ナンバーウェブ
椎葉剛さんは、高校卒業後は投手としてミキハウスに入ります。
ミキハウス在籍時は、1年目はそれなり登板し、2年目に腰を痛めた事で登板機会が大きく減り、ブルペン捕手も務めています。
3年目の2022年春に腰のケガが完治するも、登板は少なく、成績も残せませんでした。
ミキハウス時代の最速は147キロでしたが、公式戦の登板は1試合のみでした。
その時の成績は
2021年4月3日のJABA静岡の東海理化戦に登板し、1アウトも取れず、打者5人に対し、自責点4
ミキハウス時代も周りの人達に、素材やポテンシャルを褒めて貰いましたが、椎葉剛さんはどうしたら良くなるのかが良くわからなかったそうです。
そして、ミキハウスは3年でクビになってしまいました。
クビになり、野球を諦めようかと思いましたが、独立リーグからプロに行き、自身の悔しさを晴らしたいという思いで、野球を続けました。
さらに、両親に相談した際に、「まだできるならやった方がいい」と言われたのも続けるきっかけでした。
徳島インディゴソックス時代の成績は?
椎葉剛さんが徳島インディゴソックスに入団した経緯は
2021年にミキハウスから徳島インディゴソックスに行った野木海翔さんが、ミキハウス時代に一緒にトレーニングするなど可愛がってくれた先輩で、その野木さんが徳島インディゴソックスで成長してる事を知ってたので、入る事を決めます。
この決断に対し、両親は「頑張れ」と応援してくれました。
このチームの監督は投手コーチを兼任する元プロ野球選手の岡本哲司さんで、岡本さんから教わった練習法と今までやってこなかったウエイトトレーニングも始め、食事も管理し、体重を7㎏増の92㎏まで増やしました。
これにより、球速が急激に上がりました。
椎葉剛さんが成長した理由について、徳島インディゴソックス監督の岡本さんは
元々、体に力がある。リリースに力を集められるようになり、歯車がかみ合ってきた
引用:スポーツ報知
ちなみに、岡本さんから言われたトレーニングは
体幹や捻転力を安定させた上で、一塁から三塁、三塁から一塁への投球など、自身のパワーをボールに伝える練習を反復
引用:スポーツ報知
そして、2023年9月29日の独立リーググランドチャンピオンシップの富山戦で159キロを記録します。
159キロを出した映像をSNSを始めたばかりの母親が見て
これ、ホントにあんた?
引用:日刊スポーツ
と言われたそうです。
徳島インディゴソックスでは、セットアッパーとして活躍し、22試合に登板し、3勝0敗1セーブ 防御率2.31 奪三振51を記録しています。
以上が、椎葉剛さんに関する記事ですね。
中央大学の西舘勇陽さんのプロフィールや経歴についてはこちらで書きました。

東洋大学の細野晴希さんのプロフィールや経歴についてはこちらで書いてあります。

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