矢田稚子(やたわかこ)さんの学歴は、大阪府立寝屋川高校出身です。
元々、矢田稚子さんは大学に進学し弁護士になりたかったそうですが、中学3年時に両親が病気になり、矢田稚子さんは長女として兄弟など家族の面倒を見て行かないといけないので、諦めました。
さらに、高校2年の時に、両親の「家に何百万もの借金がある」と言う会話を聞き、高校を辞めようと思い、退学届けを出すも、その時に先生に止められ、その後はバイトを掛け持ちしながら高校生活を過ごします。
当時は、バイトで稼いだお金を5・6万家に入れていました。
当記事では、矢田稚子さんの学歴や学生時代について書きました。
息子さんは大学の法学部に通われています。

こちらが息子さんの記事になります。
矢田稚子の学歴|出身高校は寝屋川!大学には進学せず!
引用:X
矢田稚子さんの学歴は
となります。
矢田稚子さんは
小さい時は、大学に進学し弁護士になりたかったそうですが、中学3年の3学期の時に両親とも病気になってしまい、一番上の兄はすでに家を出てて、兄弟など家族の面倒を見なくていけなかったので、高校卒業後は就職をしました。
寝屋川高校とは?偏差値は66!
矢田稚子さんの出身高校の寝屋川高校ですが
- 偏差値は、2023年時点で66
- 公立の進学校
- 1909年に設立
- 出身者は、政治家の野田毅さん・お笑い芸人のハイヒールリンゴさん
矢田稚子は5人兄弟の長女!
引用:X
上の画像は、2023年のお正月に家族が揃った時のものです。
矢田稚子さんは、大阪府大阪市浪速区生まれ、寝屋川市で育ちます。
寝屋川では45年間生活をされて来ました。
矢田稚子さんの兄弟は
- 兄弟は5人の男・女・男・女・男の順で、矢田稚子さんは長女
- 兄と矢田稚子さんは7歳差で、矢田稚子さんから下の兄弟は年子
父親は新聞屋を経営!母親は保険の外交員!
父親は
- 矢田稚子さんが生まれる前は自動車の輸入販売や修理の会社を経営
- その後、そこが破綻し、矢田稚子さんが生まれた時には輸入品の食器の営業
- その後は、新聞の専売所(町の新聞屋)を長い間経営
そして、母親は保険の外交員でした。
家は貧乏だったそうですが、両親から愛情深く育てられ、兄弟も非常に仲良しでした。
矢田稚子さんの夫との馴れ初めやエピソードについてはこちらでまとめました。

矢田稚子の中学・高校時代は?
引用:X
では、そんな矢田稚子さんの中学・高校時代を見て行きましょう。
中学時代に弁護士の夢を諦める
矢田稚子さんが中学3年の3学期の時の15歳の時に
両親が同時期に病気になってしまい、父親は働けなくなってしまいます。
その時、父親はお酒を飲んで、少し荒れてたそうです。
さらに、当時、矢田稚子さんは近所のパン屋さんでパンの耳を貰うなど食べる事にも困っていました。
なので、矢田稚子さんは高校進学を諦めて就職を考えましたが、授業料免除や特別奨学金を貰い高校に進学されました。
高校時代はバイト掛け持ち生活
そして、高校2年時に両親の「何百万円の借金が家にある」という会話を聞き、高校を辞めようと思い、退学願を先生に出したそうです。
その時に、先生が本来高校はバイトはダメでしたが、特別にバイトを認めてくれて
とバイトをしながら、高校に通いました。
最初のバイトはドラックストアでの化粧品のモデルをされ、それ以外にもスーパーのレジ打ち・新聞配達・近所の子供の家庭教師などバイトを3・4つ掛け持ちをし、月5・6万を家に入れていました。
さらに、学生時代には児童会長を務めています。
矢田稚子さんは、お兄さんが大学進学の為に家を出た時、就職しても仕送りをしてくれなかった時、当時バイトをしながら、「なぜ?」と恨んだ事もありました。
ただ、その後、お兄さんはずっと矢田稚子さんに申し訳なく思ってくれてた事を知り、和解され、現在は矢田稚子さんの活動を応援してくれる良好な関係です。
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ちなみに、当時、妹・弟は家の事にあまり興味がなく、好き勝手してて、家にお金がない事を理解していませんでした。
なので、矢田稚子さんは「無駄使いするな」と怒ってたそうです。
以上が、矢田稚子さんの学歴に関する記事ですね。
矢田稚子さんは、長女として家を支える為に、高校時代に掛け持ちでバイトをされるなど壮絶な学生時代を過ごしていましたね。
そんな気持ちが強い人だからこそ、政治家として頑張れるんでしょうね。
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